きりのコダマのしょうもないブログ。
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ドグラ・マグラ/夢野久作
ようやく入手して読みました。
これは万人にオススメかというと決してそうじゃない。
もはや好き嫌いとか性に合う合わないの問題だと。
自分としてはすごく興味深い作品ですかね。
途中まではすっごい面白いよ!どうなるのよ!と進んで
最後はうわー。アレは…本当、人によるだろうなぁ。
ので、興味のある人だけが読めばよい、と。
そういう作品なんじゃないでしょうか。
以下、読了後の自分なりの意見とか。
ずばり、一言で言うとすべて「胎児の夢」ととれるようなつくり。
繰り返し、輪廻というテーマと入れ子構造。
どこまで行っても出られぬ、抜け出せぬというのは
ひいては胎児が子宮の中で見ている悪夢ということか。

自分としてはそう解釈しました。
正直、一度読んだぐらいじゃはっきりいってよくわかりません。
多分、もう少し時間がたってから読み返したらまた何か
わかるのだと思いますが。

「ドグラ・マグラ」というタイトルの作品は
作中には「入院中の青年が書いた作品」として登場する。
ということは、今読んでいるこの作品自体がその作品なのか?
主人公の青年はその作品を見つけるも内容は紹介されず
ただ書き出しが「同じ」である。
ちらりと触れられたその作品の目次。
その目次にあった文書が提示され
その順番で主人公が読んで行く、という形で文章が進む。
「入院中の青年が書いたドグラ・マグラ」の内容は
「この作品としてのドグラ・マグラ」に似ている。
入院患者の青年から見た医師同士のわだかまり、など。

主人公は精神病院の入院患者である。
読んでいてこれは主人公の妄想なのでは…と思い始める頃合で
主人公は自分で自分の妄想なのではないかと疑う。
大抵、読んでいて疑わしいと思ったことは
主人公も疑わしいと考えている。
それ故になぞは深まるばかり。

おおかたの謎がわかりはじめてくると
今度は主人公の意識が危うい。
だんだん、曖昧な感じで、振り出しに戻る。

胎児は胎内で成長する間に、生物としての進化を辿り
自分の祖先を辿る。祖先の人生の記憶を繰り返し見る。
心理遺伝。
胎内に宿るたびに、時間の概念は夢を見ているときのそれのように
一瞬ですべてを繰り返してみている。

この胎児の夢は誰かのその記憶を繰り返して再生しているのか?
それとも、ただそういう繰り返しに陥ったという悪夢なのか。
だとすればそれは物語のはじめに戻ったのではなく
時計の鐘がひとつ鳴る間に見ただけの束の間の夢だったということか。

この作品で伝えたいのは概念のような気がする。
すべてが手の込んだ例え話。
作者の知識や主義主張なんかも盛り込まれているけれど
何を特別に伝えたいとか、そういう感じではなく
雰囲気であり空気でありイメージであり。
話としては狐につままれたような気分になる結末。
胎内で時計の音を遠くに聞きながら胎児がそんな夢を見た。
現実の時間では一瞬だけど、夢の中では実に長く。

謎や事件のトリックの部分なんかは、時代を考えると
ものすごい先見の明といった感じ。
精神医学や心理学、そういったものの考え方。
現在では一般にも認知されつつあるけれど
現在に至っても偏見の多い領域。
薬の開発で、病院に入れるしかなかった対処ではなくなった。
けれど分類や原因が脳内の物質変化にあるだとかわかるだけで
根本はわかっていない。脳はまだまだ未知だ。
胎児は夢をみているか、わからない。
要するに、作中の論をすべて否定することはできない。
もちろん、心理遺伝なんて肯定できないけれども。
そういった個人の記憶領域が遺伝するようなことはないはずだ。
ただ、絶対に遺伝子が伝えていないとは言い切れない。
前世ではなく祖先の記憶。
そして、時代が大正。
昭和の胎児がそのときを夢見ている。
いや、現在の胎児がたまたまそのときの夢を見ていた。
そんなふうに解釈すれば、これは古い作品ではなく
今も生きている感じがする。
今も、胎内の、胎児の脳の中で。
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テーマ:読書感想文 - ジャンル:小説・文学

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